『太平廣記』巻一 「神仙一」 ⑤「孟岐」
【原文】
孟岐,清[1]河之逸人。年可七百歲,語及周初事,了然如目前。岐時侍周公升壇上。岐以手摩成王足,周公以玉笏與之。岐常寶執,每以衣裾拂拭。笏厚七分,今鋭欲折。恒餌桂葉。聞漢武帝好仙,披草萊[2]而來。武帝厚待之。後不知所之。出洞冥記。
【日本語訳】
孟岐は、清河の隠居人である。年は七百歳ほどで、彼の話は周の始めのことにまでさかのぼり、しかも目の前のできごとかのようにはっきりしていた。孟岐は周公の壇の上に控えていた。孟岐は手で王を支えて王の足となり、周公は玉笏をこれに与えた。孟岐は常に宝物の笏を手に取り、服の裾で拭いてばかりいた。笏の厚さは七分で、今でも折れそうなほど鋭い。常に桂の葉を食べた。漢の武帝が神仙を好むと聞いて、布の服を着てやってきた。武帝はこんな格好の孟岐に対して丁寧にもてなした。後に彼は行方知れずになった。『洞冥記』より
【注釈】
- 清河
現在の河北省南部と山東省北西部にまたがる地域に設置された郡。
[1] 「清」原作「青」。據明鈔本、陳校本改。
[2] 明鈔本「萊」作「蓋」。洞冥記同。
【一言メモ】
『洞冥記』巻二に、東方朔の吉雲の話がある。吉雲の露をなめると、若返ったり病気が治ったりするという。そしてかつてこれをなめた人は「董謁、李充、孟岐、郭瓊、黄安」であると書かれており、ここに彼の名前が見える。
『太平廣記』巻一 「神仙一」 ④「黄安」
【原文】
黃安,代郡人也。爲代郡卒。云卑猥不獲,處人間執鞭。推荊[1]讀書,畫地以記數,一夕地成池。時人謂安舌耕。年可八十餘,彊視若童子。常服朱砂,擧體皆赤。冬不著衣,坐一龜,廣長三尺。時人問此龜有幾年矣。曰,昔伏羲始造網罟,得此龜以授吾。其龜背已平矣。此蟲畏日月之光.二千年則一出頭。我生,此蟲已五出頭矣。行則負龜而趨。世人謂安萬歲矣。出洞冥記。
【日本語訳】
黄安は代郡の人である。代郡の兵卒になった。自らを下賤だと思い、人間界に住んで馬の御者をしていた。鞭を手に取って読書をし、地面に描いて暦数を記せば、一晩で地面に池ができあがった。当時の人々は、黄安は勤勉であると言った。彼は齢八十余りにして、子供にしか見えなかった。常に赤い服を着ていて、体全体が真っ赤であった。冬は服を着ず、一匹の亀に座っていた。その亀の大きさは三尺であった。当時の人々が「この亀は一体何歳なのか」と尋ねた。するとこう答えた、「昔伏羲が初めて網を作った時、この亀を捕まえて私に授けてくださったのだ。その時から既に亀の背中が平らであった。この亀は太陽や月の光を恐れて、二千年に一度頭を出すのだ。この亀は、私が生まれてからもう五回頭を出した。それで出かけるときは亀に乗って行くのだ」と。そこで人々は、黄安は一万年生きているとうわさしたのだ。『洞冥記』より
【注釈】
- 代郡
秦、漢の時代なら現在の河北省蔚県に存在した郡のことだろう。
- 云卑猥不獲
顧氏文房小説本『洞冥記』では、「自云卑猥,不獲處人間」と作る。
- 執鞭
馬に鞭って車を動かすこと。身分の低い者の仕事だった。
- 朱砂
硫化水銀を砕いた鉱物。顔料などに使われた。
- 洞冥記
漢の郭憲の著作。前漢の武帝にまつわることを記したもの。王国良の『漢武洞冥記研究』に詳しい。
【一言メモ】
当時の人々のうわさから、仙人の奇跡や生き方に関心を持っていたことがうかがえる項目。
[1] 明鈔本、陳校本「推」作「懷」。「荊」下有「而」字。
『太平廣記』巻一 「神仙一」 ③「廣成子」
【原文】
廣成子者,古之仙人也。居崆峒之山,石室之中。黃帝聞而造焉。曰,敢問至道之要。廣成子曰,爾治天下。禽不待候而飛,草木不待黃而落。何足以語至道。黃帝退而閒居三月,後往見之,膝行而前,再拜請問治身之道。廣成子答曰,至道之精,杳杳冥冥。無視無聽。抱神以靜,形將自正。必淨必清,無勞爾形,無搖爾精。乃可長生。愼內閉外,多知爲敗。我守其一,以處其和。故千二百歲,而形未嘗衰。得我道者上爲皇,失吾道者下爲土。將去汝入無窮之門,游無極之野,與日月叅光,與天地爲常。人其盡死,而我獨存矣。出神仙傳。
【日本語訳】
広成子とは、昔の仙人である。崆峒山の、石室の中に暮らしていた。黄帝がそれを聞いて彼のところにやって来た。そして「恐れ入りますが道に至るのに重要なことをお伺いしたい」と言った。広成子が答えた。「あなた様は天下を治めております。鳥は時期を待たずして飛び、草木は黄色くならずして葉を落とす。どうして道に至る方法を語る必要がありましょうか。」黄帝は退いて安居すること三か月、その後行って彼にお会いし、膝行して前に進み、再びおじぎして身を治める道について尋ねた。これに対して広成子が答えた、「道に至る神髄は遠くかつ深く、見えもせず聞こえもしない。精神を安静に保つことによって、肉体もおのずと正しくなるだろう。必ず清浄にして、肉体を疲労させてはならず、精気を動揺させてはならない。そうすることで長生きができる。心の内部は慎重にし、外物との接触を断ち切れ。あまり智恵を働かせすぎると失敗してしまう。私は心を純一に保つことで、和の境地に置いてきた。だから千二百歳になっても、肉体はまだ衰えを見せない。私の道を会得したものは、上は皇帝となり、道を失えば下は土となる。やがて、あなたを導いて無窮の門に入り、無極の野に遊び、日月とともに輝き、天地とともに永久不変ならしめるだろう。その時、ほかの人はみなことごとく死ぬが、私ひとりは生きながらえるのだ」と。『神仙伝』より
【注釈】
- 廣成子
中国の仙人。
- 崆峒
山名。現在の河南省臨汝県に位置するとされる。『荘子』「在宥」に、黄帝が空同山で広成子に道について尋ねたことが記されている。
- 膝行
膝をついて歩くこと。相手に敬意を示す。
【一言メモ】
広成子はそれまでの老子や木公とは異なり、あまり情報が記されておらず、『神仙伝』でも黄帝とのやりとりだけが記録されている。文学作品では『封神演義』に登場するほか、唐の陳子昂の詩などに登場するにすぎない。しかし「千二百歲,而形未嘗衰」、「人其盡死,而我獨存矣」とあるように彼の長寿が非常に強調され、そこに至る方法も、やや抽象的ではあるが示されている。
『太平廣記』巻一 「神仙一」 ②「木公」
次の文章は、「木公」という人物についてです。
【原文】
木公,亦云東王父,亦云東王公。葢青陽之元氣,百物之先也。冠三維之冠,服九色雲霞之服。亦號玉皇君。居於雲房之間,以紫雲爲葢,青雲爲城。仙童侍立,玉女散香,眞僚仙官,巨億萬計。各有所職,皆禀其命,而朝奉翼衞。故男女得道者,名籍所隷焉。
昔漢初,小兒於道歌曰,著青裙,入天門。揖金母,拜木公。時人皆不識,唯張子房知之。乃再拜之曰,此乃東王公之玉童也。葢言世人登仙,皆揖金母而拜木公焉。或云,居東極大荒[1]中,有山焉。以青玉爲室,深廣數里。僚薦眞仙時往謁,九靈金母[2]。一歲再遊其宮,共校定男女眞仙階品功行,以昇降之,總其行籍,而上奏元始,中開玉晨,以稟命於老君也。天地刼歷,陰陽代謝,由運興廢。陽九百六,擧善黜惡,靡不由之。或與一玉女,更投壺焉。每投,一投十,[3]二百梟。設有入不出者,天爲𡄵[4]噓[5]。梟而脫悟不接者,天爲之嗤。儒者記而詳焉。所謂王者,乃尊爲貴上之稱,非其氏族也。世人以王父王母爲姓,斯亦誤矣。出仙傳拾遺[6]。
[1] 「荒」原作「芦」。據明鈔本改。
[3] 『説郛』七引「十」作「千」。
[4] 呼監切。
[5] 嘘,呼者。言開口而笑也。
[6] 明鈔本作『神仙傳拾遺』。
【日本語訳】
木公は、別名東王父とも言い、また東王公とも言う。思うに春の元気、万物の祖先である。三本紐の冠をかぶり、九色の霞が描かれた服を着ていた。彼は玉皇君とも号された。隠者の家におり、紫の雲を天井とし、青い雲を町とした。仙童がそばに控え、玉女がお香を散らし、家来や仙官は、何万何億といた。彼らはそれぞれ職業があり、みな木公の命を受け、彼に仕えてそばに控えていた。だから道を得た男女は、戸籍に名が記されて彼に従うことになった。
昔の漢の始めごろ、子供が道でこんな歌を歌っていた、「青いズボンを着て、天門に入る。そこで金母におじぎして、木公様にもごあいさつ」。当時の人々はみな意味を理解できなかったが、張子房だけが理解した。そこでその子供におじぎして言った、「この方こそ東王公の仙童である。思うにこの世の人が仙界に登ると、みな金母におじぎして木公にあいさつするという意味なのだ」と。ある人が言うに、「東方の辺境に山があり、そこに暮らしている。木公は青玉で部屋を作り、その大きさは数里にも及ぶ。仲間が神仙を推薦するときにみなここに行って謁見し、九霊金母が一年して彼の宮殿に遊び、ともに男女神仙の階級や功績をまとめて改訂し、昇進と降格の処分を下し、その業績をまとめ、元始天尊に上奏し、途中で玉晨が中を開けて確認し、命を老君に受ける。天地の災い、陰陽の移り変わりは、天運の興亡による。陽九百六の災いや、善を挙げて悪を退けるといったことは、みなこれに基づくのだ。」またある日木公が仙女一人と交互に投壺の遊びをしていた。投げるたびに、一回で十本投げ、二百勝した。もし入って出られないということがあれば、天は大笑いするだろう。もし勝ったのに外したと思えば、天はまた笑うだろう。儒者はこのことを記録した。王というのは、尊敬の号であり、氏族のことではない。しかし世の中の人々は王父と王母という姓の家族だと思いこんでおり、これもまた誤りである。仙伝拾遺より
【注釈】
- 木公
東王父のこと。伝説上の仙人。西王母に対応する。『雲笈七籤』収録の『老子中経』「第三神仙」に名がある。
- 著青裙,入天門。揖金母,拜木公
『真誥』巻五「甄命授」に見られる。
- 金母
西王母のこと。古代神話における女神。
- 張子房
張良。字は子房。秦末期から漢初期にかけて劉邦を補佐した人物。『漢書』巻四十に詳しい。
- 九靈金母
上の「金母」と同じ、西王母のことか。原文では「金丹」となっているが、中華書局本では同書巻六十三「驪山姥」に「九靈金母」とあるのに基づき、改めている。
- 元始
道教の最高天神。南朝宋の陶法景の『真霊位業図』には第一中位の最高位に位置する。また、『隋書』「經籍志」に、「道經者,云有元始天尊,生於太元之先,禀自然之氣,沖虛凝遠,莫知其極。」とある。
- 玉晨
仙人の名前。陶法景の『真霊位業図』には第二中位の最高位に位置し、「萬の道の主」とされている。
- 刼歷
「歴劫」の語で、「あらゆる災難を経験すること」という意味。もとは仏教用語。
- 陽九百六
あらゆる災難と厄運。『漢書』「律暦志上」によると、4617年を一元とし、その間に陽災(干ばつ)と陰災(水害)が交互に起こるという学説。武田時昌の『漢代厄運説の形成と数理』(国立歴史民俗博物館研究報告 2022.3)に詳しい。
- 投壺
壺に向かって矢を投げ入れて遊ぶ遊戯。宴会の礼、及び娯楽で行われる。
- 梟
賭博で勝利すること。『韓非子』巻十二に、「博者貴梟,勝者必殺梟,殺梟者,是殺所貴也。」とある。
- 設
もし。仮に。
- 𡄵噓
口を開けて笑うこと。
- 脱
もし。仮に。
- 仙傳拾遺
五代の道士杜光庭の著作。また、明鈔本では「神仙傳拾遺」になっているが、漢魏叢書本の『神仙傳』には「木公」の項目がない。
【一言メモ】
東方朔の『神異經』(四庫全書本)に東王公についてのことが書かれており、それによると漢代には「長一丈,頭髮皓白,人形鳥面而虎尾」と化け物の様子で描かれていた。対になる西王母も初期には醜い姿で描かれており、『山海経』に半人半神の姿として現れる。
また、西王母より頻度は低いが、芸術作品や文学作品に登場することもあり、例えば和泉市久保惣記念美術館には後漢の「東王父西王母辟邪車馬画像鏡」が所蔵されている。さらに日本でも桃山時代の絵師、海北友松が「東王父西王母図」という屏風絵を描いた。
西王母に関しては『廣記』巻五十六に項目があるので、詳しくはそこで述べる。
このブログについて
はじめまして、「あげまかん」と申します。
このブログでは中国宋代に、それまでの小説をまとめて作られた類書、『太平広記』の全訳を試みております。至らぬ点も多いと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
〈このブログの体裁〉
【原文】
テキストの原文に句読点をつけて載せます。
【日本語訳】
先行文献などを参照して私が訳を書きます。
【注釈】
地名や人名、言葉の意味など注釈が必要な箇所に説明を施します。
【一言メモ】
文章を読んだ感想や追加情報など、ちょっとしたことを書きます。
〈使用するテキスト〉
中華書局『太平廣記』2019年
(談愷刻本を底本とし、小字で異同が記されている。)
必要事項はこんな感じでしょうか。ブログを作るのは初めてなので、皆様温かい目で見てもらえると幸いです。